韓国映画『明日へ』

気になっていた女性監督プ・ジヨン監督の初商業映画、EXOのD.O.も出演している『明日へ』原題『カート』観てきました。チョン・ウヒも出演。

ちょっと時間が経っちゃった。

 

大型チェーンスーパーの非正規雇用労働者が不当に解雇されるということで、

従業員が労働組合を結成しストライキを起こすわけですが、会社はそれらを阻止すべく労働組合員たちを分裂させようとあの手この手で……。

特定の人に労組を抜けたらば社員に昇格させるなど内密に好条件を与えたり、マスコミを使って会社が被害者であるような一方的な報道をしたり、、

 

なにそれいつかの東方神起とSMエンタ?!?!?!

 

て思いながら観たりも……

 『団結は生、分裂は死』

なんてセリフまで出てきたときには、、

 

という従業員VS企業、が実は焦点ではないところがこの映画の興味深い、考えさせられたところであります。

韓国社会VS働く女性。

男女の雇用差別とか非正規雇用の問題点をざっくりうたった映画ではなかったです。

 

女性プロデューサー、女性監督、女性が主人公。キャストも主に女性、というめちゃめちゃ女性の映画で、普通の様々な女性が今の韓国社会で生きていく様がリアルに描かれていました。

女性が作ったから素晴らしい!と言いたいのではなくね。

こういうと逆差別みたいに取られたりもして難しい…。

 

着眼点が明確でした。

女性ならではの、特に母親、

母と雇用、社会、というところがポイントです。

 

韓国社会と働くお母さん、です。

 

わたしの結論から言うとこの映画の問題提起は、

母親は、母親であるだけで声をあげてはいけないのか?

です、ね。

 

先月韓国で大規模なデモが起こりました。

その際に子供を連れて参加した母親がバッシングされていたのです。

母親として、危険が伴うデモには子供と参加するべきではないと。

でも彼女はシングルマザーかもしれません。子供を誰かに看てもらえるわけではなく一緒に参加していたのかもしれません。

確かに危険は伴います。しかしそれ故に母が母であるだけで社会で声をあげることを封じ込める社会こそ間違っているのではないでしょうか。

彼女は、わたしたちが生きていること、ここに居ることをわかってほしい、とインタビューで答えていました。

 

これがまさにこの映画のラストと同じなのです。

だからこの映画は韓国のリアルなのです。

 

弱者から搾取する企業の資本主義の普遍的な問題よりも、その問題に立ち上がる女性を自ずと封じ込めてしまう韓国社会に(日本も同様です)一石を投じた映画だと感じました。

これが『働くお父さん』の話ならばもっと普通の韓国の社会派映画だったことと思います。

韓国の社会派映画は社会に鋭く斬りこむ作品が多いのですがよくある韓国社会全般の批判がメインではないのです。そこに注目。

ここまで女性視点のものは珍しいのではないかと。

 

二人の母親がメインです。

不在の夫(出稼ぎ?)と2人の子を持つソニと、シングルマザーのヘミ。

 

どちらも女一人で子育てをしています。

このスーパーのパート従業員は主に家族のために働いています。

それが突然の不当な解雇通知より仕事を失う窮地に立たされ、それは当然会社が間違っているわけですから声を上げようと彼女たちは労働組合を立ち上げます。

ところが、ここでお母さんならではの問題が。

お母さんが組合活動に勤しみ家に帰らないとなると、家族に迷惑がかかると、

お母さんがストライキに参加すると、誰かに迷惑がかかる、と。

でもこれがお父さんだったら?

お母さんがおうちを切り盛りしながら、父は正義のために会社に立ち向かう、的な美談に社会は受け取るでしょう。

 

一方お母さんは、お母さんであるだけで社会に立ち向かうことが許されない、

母親としてそうすべきでないと、敵ではない周りの社会から突き付けられる。

母親はたとえ社会から見放されても社会と闘うより、子供を育てるためにどんな社会をも受け入れ子共に家族に献身すべきである。

ということを、社会は彼女たちに母親であることを盾に暗黙の了解で強要します。

ここが一番の問題なのです。 

そこを訴えています。

根本は未熟な資本主義とそこにはびこるブラック企業であることは確かですが、その社会で生きる男性ではなく、女性、そして母親の声には耳を貸さない社会。

母親は父親と違い、母親であるだけで受け身であることしか許されない社会、という、ここです。 

ここが訴えたかったところではないのかと。

 

ソニは息子に言います。

 

お母さんは間違ってない。

 

彼女は何も間違っていません。

 

ソニが何より辛かったことは、不当にクビにされることより自分たちの活動を会社が踏みにじったことより、その活動を初めは息子が受け入れなかったことだと思います。

息子に、家に帰らない自分を、それでも母親か、と突きつけられたこと。

 

しかし、ソニはなにより息子と娘のために働き、そこで不当な扱いを受け立ち上がったわけです。

それが母親というだけでその行為が否定されてしまう。

母親ならばストライキを起こさず粛々受け入れ黙って次の職を探して子供に献身すべき?

本当にそれが正しいことなのか。

正しいと思う方もいるでしょう。

なにより母親ならば母親を優先すべきという理由で。

この、母親だから、という価値観は本当はひとつではないのです。

様々なお母さんがいるはずなのです。

そしてお母さんと働く女性は別ではないのです。

働く女性として声をあげることが母親だからという理由で常識的に否定されてはいけないのです。

だってお父さんならば社会声をあげても父親だからという理由で咎められることはないでしょう。

仕事が忙しくて、ご飯を作られなくても、家事ができなくても、お母さんほどは咎められないでしょう。

お父さんは仕事を頑張っているから、と家父長制によって了承されたりもする。

なぜお母さんは同じように働いてもお父さんのようには周りに受け入れられないのでしょうか。

問題はお母さんではなく、間違いなく周りにあるはずなのに。

 

 

 

もう1人の母親、ヘミ。

このスーパーで働く以前は正規雇用としてそこそこの会社に勤めていましたが、息子を産む以前一度流産を経験しています。1人目の子供の妊娠中につわりがひどく業務をこなせなかったことが低評価につながっため無理をして働いた結果流産しました。

とんでもないマタハラですが現実なのでしょう。

そしてやっと授かった2人目が息子。

会社は辞めました。

そこからスーパーで契約社員となりシングルマザーで息子を育てていたところ突然の解雇。

ストライキに踏み切り、息子を預けるところもないので3歳のストライキ息子も参加していました。

ところが会社が雇った反社会勢力のチンピラに組合が襲われ息子が重症。

(さすがにブラックすぎます。日本企業も負けず劣らずブラックに決まってますが堂々と公衆の面前で反社会勢力を使ってなんてことはないと思います…。映画のデフォルメではなく韓国で実際にあることが恐ろしいです。)

ソニは息子の治療費のためストライキをやめて会社に戻ります。

組合員からすればソニの行為は裏切りです。

しかし誰もが母親だからソニの気持ちがわかるのです。

 

結局どんな不当な扱いを受けても受け身にならざるを得ないのは、母親だから。

間違ってることを間違ってるとわかっていても声をあげては家族を養うことができない現実。

それでも家族のために働いているという矛盾。

 

ソニは自分にも子供がいるのでヘミ咎めません。

 

そしてソニの息子は理解を示してくれます。

ちなみに息子を演じているのがギョンスです。

ギョンスにぴったりと役だと思いました。

 

お母さんが組合で大変なときに妹の面倒を看ていました。

お金が無いから毎日ラーメン作って、ね。

ええ息子や…。

 

原題が『カート』ということで、カートがいたるところに出てきます。

普段のスーパーのお買いものではもちろん、ストライキのときはバリケードになったり、機動隊に突っ込んでいく武器になったり。

 

 

去年観た『サンドラの週末』も非正規雇用者の母親が会社から不当な解雇通告を受けて立ち向かうストーリーでしたが、こちらはフランス、より民主主義的でした。

 

アジアとの壁を感じざるを得ません…。

 

ただ、韓国でこのような女性の映画が製作されそれなりの興業結果を残したことは素晴らしいことだと思います。

 

この映画はミョンフィルム製作で代表はシム・ジェミョン氏、女社長さん、この方がやり手なのです!

建築学概論でスジをキャスティングしたのもこの方だそうですが、今回のギョンスのキャスティングに関しては、この映画は女性によって作られた女性の映画でありそのような作品は韓国では興業が振るわないのが現実なのだそうです。

しかし社会派映画であるからにはたくさんの人に観てもらわなければ意味がありません。

また大型スーパーが舞台の映画では制作費がかかります。

そこを削らずに作りきるには保障された興行収入が必要ということで、今韓国を代表するアイドルEXO、そのギョンスのキャスティングに注目したそうです。

同時にこれから社会に出ていく若い女性に観ていただきたいということもEXOのファンの鑑賞によって叶います。

そして期待される女性監督によってメガホンがとられました。

 

 

という、建設的な女性映画が製作され興行で成功している韓国映画界やっぱりアツいです!

そしてこういう映画にギョンスが出演したこと、素晴らしいと思います!アイドルが難しい映画に出演しているとか実力がなんとかってそんなことはどうでもいいの!ユチョンのヘムのときもそうだったけどさ。

アイドルやスターでしか成しえない興行があってそのおかげで社会に訴えたい映画をたくさんの広い層に観てもらえるということ、実に合理的じゃないですか。

 

アイドル(わたしはこの線引き好きじゃないですが)がアート系や社会派映画に出ると演技の実力ばかりが議論されがちだけれど、製作側が求めるのは一番は興行成績なんです。

脇を固める演技派の役者さんにはそこは求めない。

だからアイドルという肩書があればこそたとえ実力を発揮しても興行が振るわなければ次がないことがある、これはアイドルというか『スター』の他の役者にはないハンデなのだとわたしは思っています。

 

スターの役目っていうかね。

 

 

ミョンフィルムの代表もスターの発掘に注目しているそうです。

 

今スターが生まれやすいのは中国大陸なのではないかな。発掘にも勤しんでいますし。勢いとお金もあります。

 

以前の記事で書きましたがレイの映画のプロデューサーがチャン・ツィイーだったり、クリスを自分の映画に出したシュー・ジンレイだったり、このミョンフィルムの代表だったりスターに目をつけるのは女性の時代なのでしょうか。

 

 

むしろ「女性の時代」とは、近い将来には前時代的な表現になるでしょうね。